時の歴史
大野地域交流センターのロビーに備え付けられた、大きなドラム式時計。
その役目が終わり、新しい時計が設置されました。
信号機や標識しかり、高い場所に設置して人目につくものは
えてして手元まで寄せてみると、印象よりも大きく重く感じるものです。
卓上時計や目覚まし時計の印象が強いドラム式ですが、横幅50cm以上はありました。
1分ごとにパタパタと音を立てて時を刻んでいたこの時計も、最近では休み休みの様子でした。
学校や職場などに設置してあるものと同様、親時計で設定した時刻に合わせて
子時計がその時を報せるという仕組みなのですが
少しずつずれ、そのたびに手動で時刻を進める、という本末転倒な有様に。
取り外す前からこの文字の存在は知っていましたが
改めて見ると、今は無き「中村こども会」の旧称が書かれています。
日付も、当センターが完成した昭和56年3月の1カ月後。
当時は「平生町農村コミニュティセンター」と呼ばれていた当館と共に歴史を刻んできました。
ちなみに完成直後に配布されたパンフレットのロビー画像がこちら。
時計はおろか家具もなくてスッキリしていますね。
36年前ですから、当時はけっこうモダンな印象だったはず。
今は電波式のアナログ時計が時を報せてくれます。
時間は正確で、重さも驚くほど軽い最新型。
それでも、大きくて重たいドラム式時計は、視認性が高かったことが最大の利点でした。
センターの利用申請書を記入する際も、一目で時間が確認できましたからね。
ロビーや外での作業をしながら、ふとここに視線をやって、目を細める瞬間があります。
いずれはこの眺めも慣れるのでしょうね。