駄コラム 2回目
興味深い記事を読んだので、駄コラム第二弾をのんべんだらりと。
はてぶろTOPにこんな記事がおすすめ(注目)として表示されていました。
欧米型の先進国であり、特にアメリカナイズを進めてきた日本にとって「アメリカの抱える社会問題」は軽視できないと言えます。
日本が自発的にせよ、アメリカ側からのリモデルにせよ、多くの欧米的モノ、システム、イデオロギーが輸入され
それに伴う弊害、デメリットと言うべきものも、輸入されているわけです。
(むしろ日本という国や民族、文化に全く即さない、逆効果な風習も少なくない)
いわばこの「アメリカの社会問題」とやらは、日本にとって格好の臨床データとなるわけです。
工業化や耕作放棄地の統合などによる、農業の大規模化では
農作物の買い取り価格低下を加速させたり、耕作放棄を促進する結果に繋がったり
職業形態が労働力を賃金と交換する一億総サラリーマン化するにつれ
狩猟民族よろしく、雇用を求めて都会へ人口が集中し、核家族化、少子化を引き起こしました。
もちろん、最初からデメリットを狙っての社会変動であったはずはありません。
効率の名のもとに、目に見える得だけを追っていった結果、当時見えなかった損に苦労をしているのです。
多くの欧米型~で失敗だと言われるものの多くは、「効率」や「コストパフォーマンス」に踊らされた結果だと思われます。
よく「アメリカ人は合理的だ」と表現されることが多いですが、合理的にも二つの意味があります。
1.論理的整合性を保っている、科学的根拠を伴うさま
2.慣習や形式に捉われず、結果のみを追い求めるさま
欧米的なものは、あたかも前者の合理性を持っているかのごとく語られることが多いですが
その実、時に意味のあるものを切り捨ててしまう後者のほうこそ、アメリカ的合理性だと私は思います。
以下、冒頭の記事から要約。
現在のアメリカが抱える社会問題
・就職に繋がる有資格者が少ない
・麻薬中毒者、殺人や暴力犯罪の増加
・未婚出産、片親の子供の増加
・多くの大学生が就職に必要なスキルを欠いている
・高校生の学力が世界ランキングで20位以下
1960年代以前のブルジョア文化
・出産前に結婚をし、出産後は結婚を持続させる
・実りある仕事に就くため、勉強、努力をし、怠惰を避ける
・雇い主や客のために一層働く
・愛国者であり、善き隣人であること
・公共の場では言葉遣いに気をつけ、権威を尊重する
・薬物の乱用や犯罪行為をしない
「ブルジョア文化さえあれば、これらの問題はなかったのさ!」と言いたげですが
そのほとんどが宗教が備えていた倫理観のような気がするのですが・・・。
じゃあ宗教が特効薬かというと、そうことは単純ではないですし
時代に要請されず、適者たりえなかった結果を度外視することは難しいでしょう。
そもそもブルジョアってなあに?
と、ここから話を整理してまとめに入りましょう。
単純にお金持ちという表現で使われることも多いですが
階級社会における「貴族」と「農民」の中間に位置する市民のことです。つまり商人と工業者です。
しかし、かつての日本における封建制度では士農工商、つまり「武士」と「農民」の下に位置するのがブルジョアジーだったのです。
ここが各国の違いとして面白いところですね。
果たしてアメリカはブルジョア文化を再興させて社会問題を解決するのか・・・。
同様に、日本でも同じ解決策で社会問題に取り組むのか。
そもそも、ブルジョア階級って現代の日本にほとんど存在しない気がするんですよね。(階級制度自体がないですけども)
都市部では商人も工業者も、企業に勤めるサラリーマンなわけで
一般的にこういう職業の人は「プロレタリア」と呼ばれる。
地方では公務員と農民、「士」と「農」ばかりで構成されている。
日本に「商」と「工」が根付くのだとすれば、地方のほうに伸び代があるのでは?と立ちあがりかけたところで
私の思考エネルギー(主にシュークリーム等で補充される)が尽きてしまったので今日はここまでです。