こころのはなし
週末から4日間にわたり、親戚と姉の家族が帰省しました。
叔母と従兄夫婦、その娘 姉夫婦と、その娘3人の合計9人。
普段2人で静かに生活する我が家も、とても賑やかな状態に。主に4人の小人たちによって。
叔母は普段、アメリカで外国人に茶道や華道を教えているそうですが
「こころ」を英語で説明するのがとても難しいと言っていました。
単純な名詞でもmind、spirit、heartとありますし
学術的な言い方をすればMentality、Psychologyとも表現できるでしょうか。
できるだけ正しく伝えるために、Kokoroと固有名詞にしたそうですが
昔はお茶や武道の精神性を表現するとき、Spiritsを使っていた時代もありますね。
翻訳するにせよ、人に何かを伝える時、対象をどう定義するのかは大事な話です。
知識・感情・意思の総体、あるいはその元となるもの。
事物の内にこもり、その価値を表すもの。
広辞苑的にはこんな感じですが、「こころ」の持つすべての意味をカバーしてるとは言い難い気もします。
個人的には「発現にバイアスをかけるもの」とぼんやり認識しています。
進化生物学者のリチャード・ドーキンスが言う「生物が作ったものは、その遺伝子が表現したもの」と全く同じで
「人や物が表現したものは、その”こころ”が発現したもの」だと思うのです。
確かに蜘蛛が糸を紡いで作ったクモの巣は、誰かに習ったわけでも自分で思いついたものでもなく
蜘蛛に備わる遺伝子そのものが表現したに過ぎないでしょう。
しかし、我々が作り出した言動は遺伝子のみによって説明がつくとは思えず
あえて言うなら、その「こころ」がそうさせたのでしょう。
・・・なぜこんな荒唐無稽な話をしているかと言えば、叔母が引用した詩に繋がるのです。
行為の意味
あなたの「こころ」はどんな形ですかと
人に聞かれても答えようがない
自分にも他人にも「こころ」は見えない
けれどほんとうに見えないのであろうか
確かに「こころ」はだれにも見えないけれど
「こころづかい」は見えるのだ
それは人に対する積極的な行為だから
同じように胸の中の「思い」は見えないけれど
「思いやり」は見えるのだ
それは人に対する積極的な行為なのだから
あたたかい「こころ」が、あたたかい行為になり
やさしい「思い」がやさしい行為になるとき
「こころ」も「思い」も、初めて美しく生きる
それは、人が人として生きることだ
宮沢章二さんの「行為の意味」です。公共広告機構のテレビCMでも話題になりましたね。
「こころ」から表現される行為すべてが、善行とは限らないけれど
「こころ」と「思い」を行動に移すこと、それこそが生きることだと定義しています。
なんと力強く説得力のある言葉なんだろう。漫然と生きる現代人に深く刺さる詩です。
昨日に関連して詩の話。