「何者か」とは何者か
Hubba Hubba 久しぶりにブログらしい独り言を。
皆さんは小さな頃に夢があったでしょうか。
具体的でなかったにせよ、何かに憧れたりすることはあったでしょうか。
今回紹介した記事とその周辺で言及される「何者か」とは
そういった理想の状態や成し遂げた結果というよりも
人並みかそれ以上の、社会的に及第点と呼ばれる大人を指しているような気もします。
「ひとかどの」という表現がしっくりくるでしょうか。*1
定義するのってすごく難しいです。
職業、功績、知名度、収入、社会的信用、他人あるいは本人の満足度
どれをとってみても明確な「何者かになれたのか」という答えを出すことはできないと思います。
ですが確かなことは「人から必要とされたり感謝されること」の比重は大きいということ。
あるいは(仮にそれが代替可能な立場であったとしても)自分の働きが効果的に機能しているという実感。
自分のことを自分でできる、という自立性や
新しく出会う人、自分が去った後に残される人のことを考える気持ち
やたら遠まわしで、それでいて少し行き過ぎたようなこれらの表現が
自分にとって「何者かになれたのか」という問いに対する答えだと思いました。
田舎に住んでいると、人間ひとりの比重がとても大きいと感じます。
単純に人の少なさからくる印象論なのかもしれませんが
組織という巨大な機械で、精密に動く小さな小さな歯車よりも
古めかしい機械のぽっかりとした内部でうごめく、不格好で大きな歯車になったような
「否定しがたい謎の存在感」を自他問わず感じることがあります。
ひとかどの人間に、なれるのだろうか。
*1:「ひときわ優れる」という意味から、逆に「それなりの」という意味まで広い表現ではありますが。