物忘れがひどい
最近、物忘れがひどいんです。(2回言った)
「ブログにこれ書こう」って思いついたはずなのに何だったっけ・・・とか
メモとったはずなのに、読み返すと意味が分からなかったり。(たまに読めなかったり)
思いついた時にぱぱっと下書きして、後から加筆修正しようとしたら
あまりに内容が薄っぺらいのでそのままお蔵入りしたことも数え切れず。
いや、そこまで大層な記事ではないのですが。
忘れる程度の取るに足らぬことのはず・・・そのはず・・・。そう思わないとやってられない。
というのも、集落支援員の活動は週に2回、それも兼業でやっているものですから
頭の中で無意識にONとOFFをしているのか、OFFの時には綺麗すっかり忘れてしまっている。
「あの本は役に立ちそうだから買っておこう」とか
「あの行事は時間があれば顔を出しておこう」とか
支援員サイドの私が考えていたことが、OFFの時にはほとんど思い出せないのです。
これはよくないなぁと思いつつも、結構本質的なところを突いてるような気もしていて
地域おこしや地域のお手伝いって、勤務時間とか時間給などという考え方とは相性が悪いんですよね。
地元に住んでいる住民として、生活をしていく上で自然と考えたり思いついたり行動するのが理想なのだと思います。
だからこそ地域おこし協力隊の勤務条件として「勤務先に住居を構えること」と
「勤務後も定住することを前提」とされているのだろうなぁと。
いや、でも、兼業してる人ってどういうスケジュール管理してるんでしょう。
手帳に予定をびっしり書いてる人はすごいなーと思ってますが
ある程度の効果(物忘れやバッティング防止)があるからやってるんですよね・・・?
面倒だけどやってみようか・・・日記を書くという手もあるな・・・
だめだ、週に2日しかブログ更新しない人に手帳は無理だ。
話は変わりまして、この間おもしろい話を聞きました。
ソースは忘れました。最近物忘れがひどいんです。(3回目)
都会と田舎の差とは何か?
TVもほぼ全国的に同じ番組を流しているし
インターネットでどこでも同じ情報を共有でき
いまや通販で買えないものはほとんどなく、都会と田舎を区別するものは曖昧になってきました。
勿論、人口100人の山村にボーリング場や海水浴場はないですし
離島でスキーができるわけもないのですが
ある方の指摘がピンポイントだなぁと思いました。
それは「道を歩いている時の情報量の差」なんだそうです。
都会では看板や通行人、多くの視覚的、聴覚的な刺激が飛び込んでくるのに対して
田舎では新しいお店ができるでもなく、道行く人もそれほど多くない。
つまり「能動的に得られる情報に差はないが、受動的な情報に格差がある」んですね。
話者はさらに「私に教養があれば、もっと情報を得られるのに」と言っていました。
そう、自然の景色にある草花や昆虫、動物、それらから得られる情報は少なくないはず。
人工物であれば文字を読めば意味が分かりますし、絵も描いてあるんですが
それが自然になると、とたんに知識や経験を要求されるわけです。
若者の考える「田舎は退屈だ」「田舎はつまらん」の原因の一端は、ここらあたりにありそうな気がします。
ヨモギやタンポポの知識で田舎が楽しくなるかどうかは人によるでしょうけどもね・・・
知識を得るのに労力をいとわない、そういう趣味人がもっと増えてもらえれば
色々と変わってくるのかな、とか、そんな感じです
オチをどうつけるか忘れたんです。